医学史研究会――58年の歴史

医学史研究会は、大阪大学医学部衛生学教室を端緒としておよそ半世紀以上にわたり医学史にかかわる学際的研究に取り組み、その成果を雑誌『医学史研究』にて公刊してきました。

現在は事務局を佛教大学に移し、医学や看護学、社会福祉といったさまざまな分野から研究者が集い、積極的な議論を重ねています。

設立者の顔ぶれ

※当初、事務局が置かれていた大阪大学医学部衛生学教室にて撮影(1960年秋頃)

右から

  • 木本 学甫(きもと がくほ):木本研究所主宰
  • 丸山 博(まるやま ひろし):大阪大学医学部教授(衛生学)
  • 小松 良夫(こまつ よしお):結核史の研究者
  • 野村 拓(のむら たく):大阪大学医学部助手(衛生学)
  • 南 吉一(みなみ よしかず):大阪大学医学部助手(衛生学)


※研究会立ち上げ期に刊行されていた『医学史通信』の第1〜3号

こちらから全文アクセス可

医学史研究会第1回総会

※1961年11月3日、大阪大学医学部に隣接した松下講堂前にて撮影

右から

  • 澤瀉 久敬(おもだか ひさゆき):大阪大学医学部教授(医学概論)
  • 中川 米造(なかがわ よねぞう):大阪大学医学部講師(医学概論)
  • 藤森 弘(ふじもり ひろし):大阪大学医学部助手(衛生学)
  • 指宿 照久(いぶすき てるひさ):京都大学医学部学生(のちに京都医師会会員)

本研究会の趣旨として、医学史研究会立ち上げの中心人物の一人でした故・丸山博氏の言葉を下に引用します。

丸山博「創刊のことば」(『医学史研究』第1号、1961年)

1960年5月5日、日本科学史学会年会の第3日は、日本医史学会との共催で、≪緒方洪庵生誕150年記念・医学史研究集会≫を阪大でひらいた。この集会は、日本の医史・科学史の研究史上特記すべき一節となった。

あえて、こう云う理由は、つぎの点にある。第一、このときの参加者は、医学または医史学の専門学者の数よりも、はるかに多くの科学史愛好者達で、洪庵の私塾「適塾」の果たした日本近代化への文化的役割について、感銘をふかくしたこと、また、この人達が現代医学の非専門家であるだけに、医学・医療の現実に矛盾や不満を感じておるやさき、それぞれの立場で、現実を明確にとらえようとする真剣さから、日本医学の再出発についての研究の必要性をつよく感じとって、論点もその方向にむけられていったことである。

この新しい精神の台頭は、たしかに洪庵の精神につながるものであると、世話人の一人として私は自画自賛してはばからぬ。

その証拠が思いのほかはやくあらわれた。それは、この集会の参加者を中心に、連鎖反応的に意外にも多方面の多数の人達の共鳴をえて、そのポテンシャルエネルギーが急速に、しかも自然発生的に≪医学史研究会準備会≫にまで結集した。それには≪医学史通信≫がその交流の役を果し、ついに≪医学史研究会≫が生れ、その機関誌として≪医学史研究≫第1号を誕生させるまでに、いたった。

すでに≪医学史通信≫で、しばしば述べられたように、われわれの考える医学や医療の歴史研究は故事来歴のセンサクや考証学的文献整理のとりこにならず、およそ将来の医学・医療の総合的指針として役立つとおもわれることをとりあげ、むしろ積極的に意味づけていきたいと考えている。

医学の理論や医療の体制は、その時代の社会的背景によって偏向したり、変形させられたりする。しかし医学・医療はつねに人間中心の問題である。しかも人間的であることは、歴史的であることを意味する。人間的関心から医学を観て、確かな方向を医学・医療にあたえること、これが≪医学史研究≫の心棒になると考える。そのためには、たんに時代的社会的圧力のために、研究発表が機会をもちえないもの、あるいはもちえなかったものでも、それが、より正しいもの、より有効なものであれば、それらの発表の自由は、この≪医学史研究≫が確保するであろう。そしておたがいに討議、批判の対象にしていける自由の広場が≪医学史研究≫によって提供されるであろう。

時代に流され、圧力におさえられている人間が、自らを流されていると自覚し、圧力におさえつけられていると自認した時、それは歴史に気がついたということで、このような歴史的意識をもつ人達が自らの生命を尊重すると同様に、他人の生命を尊重するとき、それは必ず医学や医療にむすびつく。

幸いにも、≪医学史研究会≫に積極的に参加し支持された方々は、甚だ広汎な領域にわたっている。哲学者もいれば、経済学者もいる。社会学者もいれば歴史学者もいる。数学や物理学や化学、生物学、農学、科学史の研究者たち、医学領域でも、基礎医学、社会医学、臨床各科、漢方、薬学と、実に多方面の方々である。これらの人たちが総合的な人間への関心から医学に新しい目をむけ、お互いに自らをみがきあげることができる期待は大きい。

いまから100年むかし、「種痘所」が「西洋医学所」さらに「医学所」と改称された時代、医師・緒方洪庵とその私塾「適塾」から巣立った若者たちは、近代日本の展開期とは云え、医学だけでなく、多方面にそれぞれの分野で活躍した。現代はその頃とは事情が全くちがうが、医学はつねに人間の幸福につながるものであるから、≪医学史研究会≫に参加する会員の多種多様性・専門非専門の特徴を生かして、それぞれの立場から、まず国民の幸福への貢献は必ずやみるべきものがあろうと、期待してやまぬ。

もともと医学は人間の生活の矛盾の中に生まれる種々の肉体的、精神的障害の解決に役立つべきものであるが、医療は必ずしも、医学本来の使命を実現するのに、ふさわしい状態に、いつもあるとはかぎらない。

こうした健康をめぐる諸問題についての医史・医学史研究は、人間を愛する人なら、だれでもが身近かに感ずる考察に値する問題を含んでいる。

このように、≪医学史研究≫は広大深遠な将来性をもっている。私達は一歩一歩、着実な歩みをしていきたいと考えるので、とにかく、ここに≪医学史研究≫の創刊のことばとして、編集者の一人としての所感をしるして、諸賢の批判と協力をおねがいする。